束縛が説かれた一夜。12月16日、新宿・BLAZEで行なわれたDIR EN GREYのライヴは、そう記憶されることになるだろう。今回の公演は、去る10月25日から12月7日にかけて実施された全国ツアー『DIR EN GREY 25th Anniversary TOUR22 FROM DEPRESSION TO ________』の追加公演にあたるもの。11月半ばに開催が発表された際には、SNS上などでファンの歓喜と不安の言葉が飛び交うことになった。何故ならば待望の声出し解禁ライヴではあるものの、彼らのオフィシャル・ファンクラブである「a knot」の会員限定での開催であり、なおかつBLAZEの会場規模がこのバンドにしては明らかに小さいからだ。FCに入会していれば無条件でチケットが確保できるわけではない。当日の会場には、狭き門をくぐり抜けた強運の持ち主たちだけが集結することになった。
【写真】声出し解禁ライヴが大盛況のうちに終了したDIR EN GREY(2枚)
声出し解禁。そうした特別な意味のあるライヴを行なうとなれば、バンド側も所縁のある場所での開催を望んでいたことだろうが、彼らがそれ以上に重視したのは「100%のキャパシティで実施できること」だった。コロナ禍に設けられたさまざまな規制が緩和されつつあるとはいえ、スタンディング形式の会場での集客率などについては、会場や主催者側の意向によりいくぶんの差異が今もある。そんな中で、この時期に通常のキャパシティそのままでの開催が可能だったのが、DIR EN GREYが過去に一度もライヴを行なったことのないBLAZEだった。とはいえ、特別なライヴを初めての場所で行なうというのは、どこかこのバンドらしくもある。
開場時刻の18時15分を迎えると、BLAZEの場内にはフロア前方のポジションを確保しようとするファンが足早に流れ込んできた。しかし印象的だったのは、誰も駆けだすようなこともなければ、声高に会話することもなく、入場自体がとても静かに進行していた事実だ。当然ながら場内ではマスクの常時活用が求められているし、ライヴ中に声を出して反応することが許可されているとはいえ、四六時中のお喋りが推奨されているわけではない。コロナ禍以前のライヴでは、場内に人が増えてくるにしたがってザワザワ感が高まっていったものだったが、開演を待つBLAZEのフロアは、来場者すべてが入場し終えた段階でも静けさが保たれ、ある種の緊張感が漂っていた。
そうした空気が一変したのは、開演定刻の19時を6分ほど過ぎ、場内が暗転した瞬間のことだ。まずはオープニングSEのテンポに呼応した手拍子が自然発生する。700人弱という収容人数からは考えられないような音量だ。そして普段のライヴと同様にShinyaが最初に姿を現すと、ダムが放流を始めたかのように歓声が沸く。続いてDieが登場するとフロア上手側の観客は彼の名を連呼し始め、Toshiya、薫が配置に就いていく中で歓声と各メンバーの名を叫ぶ声が高まっていく。最後にステージ中央に京が進み出る頃には、まだ演奏が始まっていないというのに最高潮のような盛り上がりとなった。
最初に炸裂したのは、1999年7月に発表された1stアルバム「GAUZE」に収録のSchweinの椅子だった。観衆はイントロの最初の一音でオープニング曲の正体を察知し、手を高く掲げ、声をあげる。コアなファンばかりで埋め尽くされている空間内で、その流れに乗り遅れる者はいない。ライヴハウスならではの生々しいサウンドと、オーディエンスの発するノイズが交錯する中、2020年の春までは当たり前だった風景が蘇った。京が「新宿!」と怒声にも近い声で呼びかけ「おい、もっと行けんだろ!」と扇動し、火に油を注がれたかのようにフロアの熱が高まっていく。続けざまに披露されたのは【KR】cube。2000年のシングルだが、懐かしい初期曲の連発にも観衆はイントロクイズのようにすぐさま反応していく。
DIR EN GREYが現在と同じ5人で始動したのは1997年のこと。そして先頃のツアーはその結成25周年を記念するものとして実施され、ファン投票の結果なども踏まえながら、2000年代前半までの楽曲がふんだんに盛り込まれた演奏プログラムが披露されてきた。その追加公演である今回のライヴでも演奏内容に大きな違いがあるわけではない。ただ、興味深いのは、20年以上の歴史を持つ楽曲たちが、懐かしいものに向き合った際の感覚以上の刺激的興奮をもたらしていたことだ。観客のすべてが同じ歴史をリアルタイムで体験してきたわけではない。往年の楽曲を懐かしいと感じ、当時を思い出す人たちもいれば、後年になってそうした曲を知り「あの曲を初めてライヴで聴けた!」と歓喜する人たちもいるのだ。
