先ごろ、インフルエンサーで実業家の日向誠がWWSチャンネルのインタビューに応じた。
日向は名古屋に出てきたきっかけから、V系(ビジュアル系)との出会い、会社員時代の思い出、
さらには、アパレルブランド「White Cinderella」の立ち上げから今後の活動まで思いを語った。
Q:現在はインフルエンサーと経営者を両立されている日向さんですが、若い頃はどのような人生を送られていたのでしょうか?
日向:僕の地元は高知県なのですが、小学校6年生のときに「いじめ」にあいまして。もう自殺を考えるほど、ひどいいじめでした。そこから中学1年生になったとき、お恥ずかしい話ですが、思いっきりグレてしまって。中学2年生のときには、警察の方にも捕まりまくったり。小中高大とエスカレーター式の私立の学校だったのですが、色々と悪い事をしてしまったせいで「高校へは上がれない」と言われてしまいました。ただ、その学校は空手が強いことで有名でして、「中学3年の1年間で空手の実績を出せば高校へ進学できる」と言われたんです。それで1年間、空手を頑張って、県大会の個人戦で3位になるなど実績を残すことができ、高校に進学できました。ただ、そこでまた悪い仲間と遊び始めてしまい、結局、留年という形で終わってしまいました。2年生のときに別の学校へ編入したのですが、「ヤンキー漫画のような学校で。各机に灰皿があるのを見てヤバい学校に来たなとwその学校は簿記4級など、資格を4つ取れば卒業できる、そんな学校だったんです。その頃に友達に誘われてバンドを始めて、運良く高校生で四国のライブハウスを回るなど出来るようになり、ほとんど学校には行かず、遊びとバンド活動ばかりしていました。
Q:名古屋に来られたのはいつくらいですか?
日向:高校を卒業した後です。実家がピアノ屋さんだったので、ピアノ調律師の資格を取るために名古屋の専門学校へ通いました。ただ、専門学校を出た後はピアノとまったく関係のないバイトでお世話になってたKDDIという企業にそのまま就職しました。