Q:その後はコロナ禍がありましたが、そこからインスタグラマーになられた経緯は?
日向:コロナ禍は本当に地獄でした。仕事も激減し、バンドも大きい箱で日程を抑えてワンマンライブをやる予定だったのにすべて中止に。当時はネット回線の会社だけでなく、出張買取りや美容院の共同経営、不用品回収などいろいろな事業に携わっていたのですが、ほぼストップしてしまったんです。バンドの解散も相次ぎ、ライブもできず、時間だけがある状況で。「どうしようかな」と思ったとき、「Xでもしてみようかな」と思い、始めたのがきっかけです。
日向誠(尾張のカリスマ)(C)WWSチャンネル 画像 2/2
Q:バンドマン時代に培った集客やファン作りのノウハウは活かされましたか?
日向:正直、インスタグラマーに関しては右も左も分からない状態でした。バンド時代とはまったく違う名前にしていましたし、ファンにも告げずゼロからのスタート。最初は自分が足を運んでよかったお店を紹介するなどの投稿をしていたのですが、まったく無意味で「インセンティブ 3」というレベルからでした。悔しかったので勉強しまくって、初めはブレブレながら少しずつアクセスを上げていく作業でしたね。とにかく投稿しながらXを続けて…。只、自撮りを投稿に上げ続ける事は絶対に決めてました。自分をブランディング化する事は狙ってたんで。なんだか分からない内に正直びっくりしましたが、約半年でフォロワー5万人ぐらいまで伸びました。
その当たりで、コロナ禍で問題になっていたフードロス削減の発信を始めたあたりからフォロワーや案件が増えてきたというか。「こんな見た目の男がそんなことしてるの!?」と。僕自身はユニセフ募金とか慈善活動をかなり前からしてるんですが、そういうこともXに投稿すると「見た目と違う!」となり、ギャップで良かれ悪かれさらにフォロワーが増えていきました。
Q:社会奉仕活動をするアーティストも多くいますが、そういう流れがあるのでしょうか。
日向:音楽活動されている人って、自分たちの音楽が定まるまで時間かかると思うんです。紆余曲折の中で「どんな曲なら人気が出るか・確立出来るか」など試行錯誤しますから。ビジュアル系にもXさん、LUNA SEAさん、L'Arc〜en〜Cielさんとさまざまな系統がありますよね。完全にスタイルが固まって、ファンもついてきて、バンドで生活できるようになると、視野も広がり心に余裕が生まれます。その余裕が出てきた人たちは、社会奉仕にも目を向けるようになる気がします。ガムシャラに音楽やって視野が狭い時期は、なかなか考えられないので。
僕は経営をしながらバンドをやっていた事が強いですかね。バンドをしてたら色々思う事もあって。
小さいコミニティーの中でずっといるよりも、広い世界を見ていくと色々な出会いや有りえないぐらい大変な方々はいくらでもいますから。
Q:現在はインフルエンサー事業も展開され、マネジメントも行っているそうですね。