2025.06.20 公開
【インタビュー】インフルエンサー・日向誠(尾張のカリスマ)がビジュアル系との出会い、起業家を目指したきっかけを語る!

日向誠(尾張のカリスマ)(C)WWSチャンネル  画像 1/2

Q:そこからレーベルを立ち上げられたとお聞きしていますが、どのようなアーティストが所属されていたのでしょうか?

日向:自分のバンドをやっていた頃の話ですが、名古屋には「名古屋 MUSIC FARM 」という場所がありまして、そこが黒夢をメジャーに引き上げたところなんです。ここが名古屋のビジュアル系の聖地で、数々のメジャーアーティストが通過する場所。僕も名古屋 MUSIC FARMを拠点にライブを続けていました。そんな繋がりも有り、「バンドを紹介してもらえませんか?」と店長に相談をしまして。最初は店長の力をお借りしながら、イベンターのような形で活動を始めました。ありがたいことに僕を慕ってくれるバンドも増えてきて、どんどんバンドを呼ぶことができるようになって。その中で名古屋で頑張ってる3バンドを厳選し、所属アーティストとして迎えてレーベルを始動したという流れです。

Q:KDDIという大手企業から本来やりたかった音楽業界に携われるようになったことで達成感はありましたか?

日向:僕には音楽しかないと思っていました。独立を決めたとき、「自分ができることはなんだろう」と考えて、やはり音楽しかなかった。もう1択でした。

Q:レーベルは何年くらい続けられたのでしょうか

日向:どれくらいでしょう?所属バンドをツアーに送り出せるようになった頃には、名古屋だけでなく、東京や大阪でもイベントができるようになり、当時まだそこまで有名ではなかったゴールデンボンバーさんも何回も出演してくれました。年末のイベントには今売れている方々もたくさん出演してくれて、すごく充実していましたね。ただ、ITの普及やコロナ・アイドルブームなどで、バンドの観客が減ってきて。ライブハウスに来る人も減ってくるとバンドの数も減っていく。CDからサブスクの時代になったそんな中で「このままでは続かない」と思ったのですが、まだ諦めきれず自分が再度、表に出てプレイヤーとして引っ張るために音楽を続けようと決めました。そこからまたバンドを組んで始めたんです。

Q:プレーヤーから会社員、イベンター、バンド育成…そこからまたプレイヤーに戻られたのですね

日向:バンドマンってお金がなくて。僕自身も借金しながら活動していたので、そうはなりたくないなと。そのタイミングでKDDI時代の上司から「いい話がある」と声をかけられて、光ファイバーなどを扱う会社を立ち上げることになりました。営業には自信があったので、バンド活動として並行して始めた感じです。ネット回線やWi-Fiなどを扱う会社で、軌道に乗るまで1年ほどかかりましたが、ちょうどバンドの準備にも 1年かかっていたので、ある程度はお金には困らず、バンド活動ができていました。

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