Q:なぜ、名古屋でのバンド活動からKDDIに就職という流れになったのでしょうか?
日向:名古屋では、専門学校に通いながらバンド活動をしていました。ワンマンライブができるレベルにまで成長し、有名な某インディーズレーベルにも入りましたが、そこの社長が悪徳でして。精神的に辛くなってしまい、バンドは解散。ただ、バンド活動で数百万円の借金が残ってしまって。それでKDDIに就職したんです。自分が営業に向いているかは分かりませんでしたが、仕事を頑張って借金を返そうと働きました。
Q:就職されたのはいつ頃ですか?
日向:専門学校出てすぐです。バンド活動は就職する前に解散しました。18歳で名古屋に来て、専門学校に通いながらバンドをしていたので。
Q:KDDIに入社されてから、今のような経営者を目指そうと思った流れは?
日向:目指したというより、自然な流れでした。KDDIでは営業成績がありまして、一度だけですが全国のKDDI営業マンの中で上位に入ったことがあります。その頃には借金も返済できていたのですが、そんなときに兄が名古屋に来て「起業するから手伝ってほしい」と声をかけてくれたんです。それでKDDIを辞め、兄の会社に入りました。当時は本当にワンルームからのスタートで。KDDI時代は年収約700万円でしたが、最初の給料は7万円という状況でした。そこからいろいろ頑張りまして、個人事業主から有限会社、そして株式会社へと成長し、会社もそれなりの規模になりました。とはいえ社長は兄だったので、社員が増えるにつれ意見がぶつかることも増えて。そうした理由から退職し、独立する事を決意しました。
Q:その後はバンド活動をされたとのことですが、どのようなジャンルの音楽をされていましたか?
日向:V系(ビジュアル系)です。高知でも、名古屋に出てきたときも、やっていたバンドはすべてビジュアル系です。黒夢の清春さんに憧れてバンドを始めて…そこは僕の完全ルーツですね。もちろんLUNA SEAさん、Xさんなど大好きなバンドさんはたくさんいたのですが、小さい頃、黒夢のファーストシングル「for dear」その次の「ICE MY LIFE」をビジュアル系好きの兄が実家で流していて。それを聴いたとき「なんて独特で綺麗な声なんだ!」と衝撃を受けました。美しい曲で歌詞も最高に良くて格好いい。それで清春さんが大好きになりました。