欅坂46で約5年、櫻坂46で約5年と2つのグループを同じ期間過ごしてきた小池。欅坂46時代は「自分がグループのためにできることをひたすら探していたけど、少しずつ楽曲を自分の中に落とし込めるようになったタイミングで改名する運びになってしまいました。そのときは自分にもっと力があればと感じたり、私たちには背負えなかったんだと、ただただ悔しかったことを覚えています」という。そして、櫻坂46に改名してからは「欅坂46と比較されてしまうことも多く、当時の楽曲を求められることも多く、なかなか櫻坂46ひとつで戦えない時間が続き、荊の道とはまさしくこのことだなと痛感する日々でした」と、最初は葛藤したことを吐露。それでも、「どんな瞬間でも一番自分に素直でいられて、心から大好きだと感じた場所はこのライブのステージ」だったと告げ、「ここは皆さんと気持ちを共有できる場所で、そのたびにいろんな感情に出会うことができた」とBuddiesに感謝を伝える。
Buddies感謝祭 2025』『小池美波 卒業セレモニー』(C)上山陽介 画像 22/25



また、「私は学生の頃、自分の気持ちを伝えたり嫌なことを言葉にするのがすごく苦手で。自分の些細な感情にも気づかず、目を伏せて生きてきました。でも、この10年はそんな私はすべて変えてくれました。素直に生きていていいんだ、正直でいていいんだと、活動していて楽曲とともに生きていてそう感じるようになりました」と自身の成長についても触れる。その後は三期生に「櫻坂46を好きになってくれて、加入してきてくれて本当にありがとう。私はみんなが入ってきてくれたことをきっかけに、櫻坂46らしさというものを知ることができました。ちゃんと伝えたことなかったけど、みんなのこと、すごくすごく大好きだよ」、二期生に「加入したての頃、いきなり大きなプレッシャーを背負うことになって、本当に苦しかったよね。私は本当に二期生がずっと大好きで、ほぼ同期のように接していました。一期生みんなが卒業しても、ひとりになった感覚があまりなかったのは二期生の存在が大きかったから」と後輩たちに気持ちを届ける。