4月に入り、名古屋・栄を拠点に活動するアイドルグループ・SKE48は結成以来の大きな節目を迎えた。4月10日(土)には2期生の高柳明音が、翌11日には1期生の松井珠理奈が、地元・愛知県の日本ガイシホールでそれぞれ卒業コンサートを開催。
そして、4月26日(月)、27日(火)に高柳が、29日(木・祝)に松井がホームであるSKE48劇場でメンバーとファンに見守られて劇場最終公演を無事に終えた。
【写真】初めて「ラムネの飲み方」公演を観に行ったときのこと<SKE48>(3枚)
卒業の余韻が残る中、まだまだ実感の湧かない2人の卒業。早くもSKE48のファンサイトでは松井珠理奈、高柳明音、そして2015年に卒業した松井玲奈を名古屋の“三英傑”に例えて、これまで何度も言われてきた「第◯章」といった形ではなく「JRA編完結」(J=松井珠理奈、R=松井玲奈、A=高柳明音)という見出しの記事が見られた。
2人にとって前向きな卒業であることは間違いないが、筆者もまた卒業公演を観覧してもなお、卒業されたという実感がなかなか湧いてこない。今、SKE48に吹く変化の風を感じながら心境の整理も込めて、今回は高柳明音にフィーチャーしてこのコラムを書きたいと思う。
<高柳明音に出会った日>
筆者がSKE48を知ったのは、今から10年前にリリースされた『バンザイVenus』のMVがきっかけだった。映像から溢れ出す楽しい雰囲気に惹かれたことをよく覚えている。そこに高柳もいた。松井珠理奈、松井玲奈と並び制服姿で微笑む姿が印象的だった。
高柳といえば、東日本大震災の直後に配信された『愛の数』の歌唱動画や、総選挙での直訴がきっかけで生まれた「ラムネの飲み方」公演誕生の功労者としてのイメージも強くあるが、握手会に足を運ぶことはなかった筆者にとって、48グループはテレビの中の人という認識が強くあり、その中でも高柳はバラエティや好んで観ていた『SKE48のマジカル・ラジオ』に出演しており、身近に感じていたメンバーの一人だった。
劇場公演を最初に観に行くなら絶対に「ラムネの飲み方」と決めてはいたが、受験などでタイミングが合わずにオリジナルメンバーでの公演はとうとう千秋楽を迎え、SKE48も組閣を実施しチームの雰囲気も一新された。それからしばらくはグループのことを気にかけつつ大学生活を送っていたが、ナゴヤドームのコンサートを見てからは生活環境も変わったことでSKE48から一旦離れた。
このまま48グループ自体からも遠のいて行くのかと思っていた矢先、大学の友人と見ることになった一作目のドキュメンタリー映画をきっかけに再びグループの状況について知ることとなった。当時は「卒業」というワードに過敏になっていたこともあり、知らない内に卒業しているメンバーがたくさんいることに驚いた。そして、最初の推しメンだった方の結婚発表など、スクリーンで見た光景の情報量の多さに数日の間は頭がボーッとしていた。
そんな最中、劇場で再び「ラムネの飲み方」公演が上演されていることを知った。そして、公演には高柳をはじめ、2期生のオリメンも少なからず参加していることも合わせて知った。今見ないと悔いが残ると思い、モヤモヤとした気持ちの整理も込めて遠方枠で応募し、その後当選した。
公演の出演メンバーの欄には高柳をはじめ、数人知っている名前があったがあとは顔と名前が一致しない。48グループは見続けなければならない訳をここで思い知った。
当選した公演だが最初は通常公演と思いきや、日付が4月1日だったこともあり、当日が誕生日の日高優月の生誕祭公演となることが直前で決まり、合わせて前日にグループを卒業した古川愛李からリーダーを託された大場美奈による「大場チームKⅡ」の初日であり、研究生から昇格したばかりの青木詩織、松村香織の正規メンバー昇格後の初公演と、いろいろなお祝い事が気付けば重なっていた。