舞台から映画化に際しての工夫や、難しかった点を聞かれると「演劇のときは、同じように市子という役を演じる俳優さんはいらっしゃったのですが、ただ存在しているのにしていないということをテーマにしていたので、そこに市子はいるけど、つかめない、見えないという風に、象徴的なものとして作っていました。
映画にする場合は、市子という役を俳優が演じている姿を撮影していくとそこに実存しているように映ってしまうので、リアリティのあるものを作ろうとした時にそこが難しいのではないかと思いました。どうすれば市子をカメラで捉えながら、市子の不在、彼女を掴めない感覚を作っていけるのかなと、かなり苦労しながらシナリオを書いていきました。なので、章立てをして過去に市子に関わった人々の視点で彼女を映し出し、市子の主観を出していかないという方法論で映画化を進めることになりました。」と当時を振り返った。
さらに本作の市子というキャラクターとキャスティングについても質問が及ぶと、これに対し戸田監督は「リアリティのある作品にしなくてはいけないと思っていたので、まず年表を作りました。(主人公の設定である)1987年東大阪生まれの子供は、バブル崩壊、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災があって、3.11や9.11を経験した世代だと思うのですが、その年表をまず作り、その中に市子の年表を作って彼女の人生に現実味を与えていきました。市子は多面的に様々な視点から描かれていくキャラクターなので、一面的な表現ではなく幅のあるお芝居ができる人に託したいと思っていたところ、杉咲さんの過去作を観ていて、杉咲さんの演技に市子を演じて頂く可能性をとても感じました。」と語り、市子という存在に杉咲を投影した背景も明かしてくれた。
また、監督が作品に込めた願いについて訊かれた監督は、「正しさというのは一体何なのか、は生きていく上すごく考えていることです。世の中にある正しさやモラルというものは、簡単には処理できないものだと思っています。それぞれ、本作をご覧になったみなさんが市子という女性をどういう風に捉え、どういう風に考えるのか。自分の人生をフィードバックしていくきっかけになればと思い作りました。」と語った。
最後は手を振ってフォトセッションに臨んだ戸田監督。
原作の舞台初演から8年、ようやく日本国内で観客と映画『市子』を共有できた喜びを噛み締めているようにも見えた。